TOP
アクセス
TEL082-568-1511/FAX082-568-2112
広島県医師会について
県民のみなさまへ
医師のみなさまへ
会員専用 (e-広報室)
For doctors

ジュノー博士の偉業

戦後の広島で多くの命を救った外国人医師。マルセル・ジュノー博士。

ジュノーさんってだあれ? - 被爆地ヒロシマに救援の手をさしのべた外国人医師の紹介 -

ジュノーさんとは、スイスの人で、お医者さんなんだ。

名前はマルセル・ジュノーといって、赤十字国際委員会の駐日主席代表(日本に来て赤十字の活動をする偉い人)に就任して、広島に原爆が落とされた後、たくさんの薬や、医療材料をとどけてくれたんだよ。
原爆の被害にあったその頃の広島は、家も病院も壊れてしまっていたんだ。お医者さんも看護婦さんも、自分たちが傷ついていながら一生懸命にけが人や病人の治療をしたけど、焼け野原の広島にはほとんど薬はなかったんだよ。

15トンの薬と救援活動

この様子を知ったジュノーさんは、連合国司令官(戦争に負けた日本を統治した人)のマッカーサーに薬の援助をお願いし、自分も救援活動に参加するために、広島に来たんだよ。トラックで運ばれた15トンの薬には、それまで日本にはなかったペニシリンなどもあって、その効き目にみんな驚いたんだ。

ドクター・ジュノーの功績をたたえて

広島にいた間に、たくさんの救護所を廻って傷ついた人の治療をしたんだよ。そしてスイスに帰ってからは「原爆を人間は使ってはいけないんだ!」と世界中に呼びかけたんだ。
私たち、僕たちが、ジュノーさんのことを忘れないこと、二度と戦争がおきないこと、平和な世界になることを誓うために、平和公園の近くに顕彰碑(功績をたたえ記念する碑)が建てられているんだ。

広島平和記念館南の緑地帯にあるジュノー顕彰碑

1979年広島県医師会、日本赤十字社が中心となって建立した。
1990年からジュノー忌(6月16日)頃、毎年ジュノー記念祭を開催している。
顕彰碑のものと同じブロンズ製のレリーフ
このレリーフをはめ込んだ碑が、スイスのジュネーヴ市にも2006年建立された。

故マルセル・ジュノー博士の経歴とヒロシマへの貢献

年月日 経歴
1904年 スイス生まれの外科医。
1933年 (29歳)赤十字国際委員会のメンバーになり、同委員会代表として、戦争捕虜の調査と救済のために、エチオピア戦争、スペイン市民戦争、第2次世界大戦中のヨーロッパ各国で活動する。
1944年 (40歳)赤十字国際委員会駐日主席代表に任命される。
1945年8月9日 日本国内に収監されていたアメリカ人をはじめとする連合軍捕虜の、母国への帰国を支援する目的で、テヘラン→モスクワ→シベリア→満州→新京を経由し、終戦直前の東京に空路着任する。
1945年8月15日 日本の降伏により第2次世界大戦は終結し、アメリカ軍を中心とした連合軍司令部による統治がはじまる。連合軍司令部により極秘とされていた広島への原子爆弾投下についての情報を入手すると、秘密裏に部下のビルフィンガー氏を広島に派遣し、情報収集にあたらせる。
1945年9月2日 ビルフィンガー氏から広島の惨状を伝える電報を受け取ると、直ちに連合軍司令部に、広島への医薬品の提供を請願する。連合軍司令部の極秘事項に対する越権行為であり、赤十字国際委員会として任務外の活動でもあるため、一度は拒否されるが、持ち前の熱意と交渉能力により、マッカーサー司令長官との折衝を繰り返し、ついに15トンの医薬品や医療材料の提供と広島への運搬を約束させる。
1945年9月8日 自らも同乗し、医薬品を東京から岩国に空輸した後、トラックで広島に運び、広島県知事に引き渡す。4日間の広島滞在中に、市内各所の救護所を視察するとともに、被爆者の治療にも専念する。医薬品や医療材料が極度に欠乏した状況下、「サルファ剤」などの薬品をはじめ、消毒薬や包帯などは、大変な治療効果を発揮し、1万人以上の命を救うとともに、絶望の淵にあった被爆者たちを強く勇気付ける。その中で、「ペニシリン」や「乾燥血漿」は初めて日本にもたらされたものであり、広島の医師たちはその効果に驚嘆する。また、伝染病予防のための消毒薬(DDT)の空中散布など、衛生面でも貢献する。医療面で広島を支援した、最初でただ1人の外国人である。
長崎については、医薬品の支援に尽力したが、訪問はかなわなかった。
1946年1月 任務終了にて帰国。帰国後、赤十字国際委員会から、「原子爆弾による惨状とその非人道性」についてのアピールを出す。
1947年12月 (43歳)国連児童基金(UNICEF)主席代表に任命され、中国で戦災孤児の支援を行なう。
1959年 (55歳)赤十字国際委員会副委員長に選任。再来日し、在日朝鮮人の帰国事業に尽力する。
1961年6月16日 (57歳)勤務していたスイスの病院で、担当した患者の退院を見送っている時、心臓発作を起こして急逝する。
1979年9月 広島県医師会や日本赤十字社は、博士を偲ぶ関係者の協力のもと、広島平和記念公園横の緑地帯に「ジュノー顕彰碑」を建立する。
1990年6月 碑前にて「ジュノー記念祭」が執り行われ、以後毎年継続されている。
2004年10月 博士が被爆者の診療にあたった広島市袋町小学校横に、ジュノー広場が設置される。
2007/5/1 広島県医師会常任理事 柳田実郎 記

ドクタージュノー顕彰事業実行委員会

事務局:〒732-0057 広島市東区二葉の里三丁目2番3号 広島県医師会 学術課
電話:082-568-1511
FAX:082-568-2112

© 2023 HIROSHIMA Prefectural Medical Association.