16図10 能登半島地震におけるDMAT隊員の生活 A食事は自分たちで持参した非常食のみを食べます。 B 幸い役場の廊下をお借りすることができたため、DMAT隊員は寝袋に入って廊下で就寝します。男女の区別や、個人のプライベート空間はもちろんありません。 C 私たちが派遣されたときは、すでに電気が使えるようになっていたのは幸いでし D E下水も使えるようになっていましたが、水力が弱いためティッシュは流さないよた。しかし断水状態は続いていました。うにしました。(A)(A)非常食のみ非常食のみ(C)(C)手洗いは断水中手洗いは断水中(B)(B)役場廊下で雑魚寝役場廊下で雑魚寝(D)(D)紙は流せない紙は流せない(E)(E)送り、食事は自前の非常食や缶詰で賄いました(図10)。医療活動は早朝から深夜まで続き、自衛隊と協力して、倒壊しかけた医療施設の入所者を他の施設へ避難させる任務も行いました(図11)。また、出勤できる職員が激減し、高齢者福祉施設での介護体制が崩壊したため、医療支援も行いました(図12)。災害現場では、強い責任感から過労になりがちで、体力的にも精神的にも疲弊してしまうことがあります。私はDMATリーダーとして、被災者だけでなく隊員全員の健康管理の重要性も痛感しました。能登半島地震のもう一つの特徴は、高齢者福祉施設の入所者の多さでした。珠洲市、輪島市、能登町、穴水町の平均年齢は約60歳に近く(広島市は46歳)、高齢化率は約50%(広島市は25%)に達していました
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