2医療機関の機能4広域搬送計画の7表1 阪神淡路大震災における課題課 題当時はまだ、医療は病院で行うものという考えが普通で、急性期の被災地における医療支援がほとんど行われませんでした。交通網の遮断や混乱によって、傷病者の迅速な搬送も困難で、初期治療が大幅に遅れました。多くの医療機関が被災し、建物崩壊やライフライン途絶を来しました。このため、医療サービスを提供する能力が大幅に低下しました。災害時の医療提供において、行政機関や他の医療機関との連携が不十分で、情報共有や役割分担が適切に行われませんでした。患者は地域内で医療を受けるのが、当時の主な考え方であったため、多くの患者が行き先を失いました。1救急医療の遅れ喪失3連携不足欠如解 説対 策DMATの発足災害拠点病院の発足広域災害救急医療情報システム(EMIS)設立広域医療搬送計画持ちが大きくなりがち(例:「まあ、大丈夫だろう」「たぶん行けるだろう」)ですが、DMATは危険を甘く見ず、慎重に行動しなければなりません。DMATは、災害現場への派遣だけでなく、統括本部での活動も行います。そのため、医療資機材や医薬品の他に、パソコン、プリンタ、衛星電話、発電機なども現地へ持参します。これらの機材は手で持ち運べる量ではないため、通常はワゴン車などを使用して災害現場へ向かいます。公共交通機関を利用することはほぼありません。DMATは、災害時において迅速かつ適切な医療を提供するために欠かせない存在です。普段からの訓練と準備を通じて、災害時にも対応できるよう備えています。
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