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知っておきたい薬物の乱用・依存に関する基礎知識

目次

V.薬物乱用が心身の健康に及ぼす影響

 紙面に限りがありますので、この冊子では青少年に特に関係がありそうな項目に限って、図表を提示しながら、説明していきたいと思います。

1.喫煙の害(ニコチン、一酸化炭素、タール)

 タバコの煙は気管・気管支の粘膜を刺激しますので、30年後の肺気腫などのCOPD(慢性閉塞性肺疾患)の原因になります。またタバコの煙には、ニコチン、一酸化炭素、タールが含まれております。

非喫煙者の肺(左上)と40年間×タバコ30本を喫煙した人の肺

 ニコチンは血管を収縮する作用と依存を形成する作用が強いので、血圧上昇、心臓への負担を増大し、虚血性心疾患やクモ膜下出血を誘発します。
 一酸化炭素はヘモグロビンとの結合力が高いため、肺胞での酸素とヘモグロビンの結合力を弱め、全身への酸素の運搬を妨害しますし、心臓への負担を増大する作用があります。運動する場合、息切れ、持久力の低下などをもたらしますので、特に青少年の成長を妨げます。
 タールは、発がん性物質を多く含み、がんの発生の増大および加速をします。肺胞に沈着するため、喫煙者の肺(右下)は非喫煙者の肺(左上)と比べて汚い色をしています(図表9)
 タバコはほとんどすべてのがんや各種疾患に関与しており、非喫煙者に比べ喫煙者の方が死亡リスクが非常に高いことも明らかになっています。その他、煙に含まれるベンツピレンなどの発がん物質が多く含まれているため、咽頭癌/喉頭がんや肺がんの他、血行を通して全身にばら蒔かれますので、直接タバコの煙に接触しない身体各部の発がん性を高めることが証明されています(図表10)

非喫煙者(1.0)と比較した喫煙者の死亡率

受動喫煙 家庭内喫煙者と幼児(3歳児)の喘息様気管支炎の有病率

 「受動喫煙」とは、非喫煙者が自らの意思に反して喫煙者のタバコの煙にさらされることをいい、それによって病気にかかるリスクが上がることが明らかになっています。図表11では、家庭内喫煙者と幼児(3歳児)の喘息様気管支炎の有病率を表しておりますが、家庭内喫煙者なしの場合の1.7人に比べて、父親や他の家族の喫煙は喘息様気管支炎の有病率は3人ですが、母親が喫煙する場合は、母親と一緒に居る時間が長いので、その分4.9人と有病率が増すのです。

2.飲酒による害

1)急性アルコール中毒の問題

年代別のアルコール急性中毒による救急搬送人員

 若年のアルコール依存症の問題もありますが、急性アルコール中毒で救急搬送された人を年代別に見てみると、男女とも20歳代の人数が多いことが分かります(図表12)。理由として、グループで盛り上がって飲酒する機会が多いこと、また経験の浅さから自分の適量が分からず、無謀な飲酒をしてしまうことなどが考えられます。特にアルコールを分解できない体質の人では、比較的多くない摂取量でも死亡することがあります。一緒に飲んでいる周りの人も、節度ある飲酒について注意を払うことが重要です。
 平均的な日本人では、1合の日本酒(純アルコール20g)を完全に分解するのに45時間かかるので、宴会を夜間12時過ぎても切り上げないでいると、朝出勤時の運転は飲酒運転・人身事故につながりやすいことに注意が必要です。

2)胎児性アルコール症候群

胎児性アルコール症候群

 妊娠している女性は赤ちゃんへの影響を考えて、眠れないときでも、睡眠薬を服用することは控えるのが普通です。しかし、飲酒習慣を有する女性が妊娠中に眠れないと、飲酒に頼ることがあります。特に受精卵が子宮壁に着床して細胞分裂が進み臓器に分化していく妊娠の初期に飲酒した場合には、それほど大量の飲酒量でなくても、胎生期のアルコール曝露によって、(1)から(3)に例示するような中等度から高度の身体的・行動的・感情的・社会的機能障害を胎児に引き起こすことが知られております(図表13)

3.有機溶剤が心身に及ぼす影響

 有機溶剤が心身に及ぼす影響は、シンナー等の有機溶剤を吸ってすぐ現われる「急性効果」と長期に吸っていると現われる「慢性効果」に分けられます。

1)急性効果

 急性効果としては、有機溶剤の中枢神経系に対する抑制作用によって、酩酊から麻酔に至る種々の段階の意識レベルの低下がもたらされます。いわゆるラリった状態となって、「幸せな気分になる、調子良く怖いものなし、フラフラ動きだしたくなる」などの発揚的、多幸的ないし易刺激的な酔いをもたらします。有機溶剤を強迫的に吸引する乱用者では、喉の乾きや空腹の感覚さえも麻痺して、急激に脱水症状や栄養失調を呈して緊急入院を要することもあるのです。また自動車の中など狭くて換気の悪い場所で吸っていて、酸欠状態となって呼吸麻痺を起こして死亡したり、タバコに火をつけて大火傷をすることもあります。
 さらに、有機溶剤には知覚異常や幻覚の発現作用もあるので、ラリっている最中に、色のついた曲線紋様の変化や自分の空想する情景が夢のように目の前に展開する幻覚(夢想症)などを経験することがあります。時には、仲間と校舎の屋上で吸引していて、空を飛べるような妄想をいだいて、次々と集団で転落死する事件もあったのです。

2)慢性効果

シンナー依存による足と手の麻痺(多発神経炎)

 10年近いシンナー乱用歴のある20代半ばの女性の手足です(図表14)。筋肉が萎縮したふくらはぎや母指球・子指球ののっぺりした状態、手袋状・靴下状の感覚麻痺・運動麻痺の発現が特徴の多発神経炎の事例です。

渦巻き図形を描く際に見られる手のけいれん(動作時ミオクローヌス)

 図表15は私が経験した事例で、高等学校の保健体育の教科書に載っております。左図の私が書いた渦巻きを真似て書いてもらったのです。「動作時ミオクローヌス」といって、じっとしているときには目立たないのですが、何かやろうとすると、途端に手がけいれんして上手く描けません。水を飲むにも、こぼしてしまうのです。

頭部CTスキャン像(シンナー乱用による脳の萎縮)

 左がこの患者の頭部CT像です。右の健常人のと比べて、前頭部の大脳皮質の萎縮や脳室の拡大が著しいのです(図表16)
 青少年が人格形成の大切な時期に、一度、有機溶剤乱用・依存の悪循環に取り込まれると、現実社会の人間関係の複雑さを回避し、安直に自分の求める効果を与える薬物を唯一の友達のようにして、薬物を摂取することを生き甲斐としていくのです。その結果、意欲面・情動面の障害をもった性格変化が助長されてしまい、なかなか社会での適応能力が鍛えられないのです。また、20歳を過ぎてもなお、有機溶剤の乱用・依存から脱却できないで、精神病院を受診する有機溶剤依存者の中には、幻視・幻聴等を有する「有機溶剤精神病」を発症しているものも少なくありませんでした。

4.ブタンガス吸引による害

 最近では、シンナー等有機溶剤の乱用流行が治まるにつれて、使用規制のかかっていない卓上コンロやガスライター用の≪ブタンガスの乱用≫が時々見られるようになりました。ブタンガスを吸引していわゆるラリった状態で、自宅の階段から転落して、頭部外傷のため脳外科で手術を受けた事例もあります。

5.アヘン系麻薬依存にみられる禁断症状

1)モルヒネによる身体依存形成後の禁断症状の発現経過

 日本猿にモルヒネを毎日6mg/kg皮下注射して14日間経つと、モルヒネに対する身体依存が形成されます。モルヒネを注射した直後には、ゆったりとして平常の状態ですが、12時間経過して血中のモルヒネ濃度の低下に伴って、モルヒネの「禁断症状」が発現してきます。全身の毛が立ち瞳孔が散大して牙をむき出しイライラ感が高まってきます。そして、下痢・腹痛・嘔吐でグロッキー気味となります。24時間後には禁断症状は更に進行して、皮膚の中を虫がムズムズ動き回るような異常感覚がつのって非常に苦しい思いをします。人の場合も全く同じで、頭を壁にぶつけたり、苦しい思いを訴えて、モルヒネの注射を懇願する状態となります。このような禁断症状も48時間目が一番のピークです。この後は急速に回復して、食欲もでて夜間も眠れるようになります。しかし、今度は無性に「渇望感」が増してきます。
 入院中のモルヒネ依存の患者さんの場合ですと、48時間目までは身動きすら大変であっても、この後は動けるので、色々な理由を付けて外出を要求してくるのです。要求が通らないとなると、時には病棟の天窓のガラスをはずして外出した患者も居るくらいで、自ら止め続けることは非常な困難が伴うものです。
 モルヒネは「がん疼痛」に対する治療薬として有用なものであり、WHOが推奨する<がん疼痛治療法(三段階鎮痛薬選択順序)>を遵守していれば、薬理学的に乱用に至ることはないことが証明されておりますので、安心して比較的早期から利用して≪生活の質(QOL)≫を高めることができるのです。

2)ヘロイン依存の母親から生まれた新生児にみられる禁断症状(図表17)

ヘロイン依存の母体から出生した新生児離脱症候群:文献上報告された315例のまとめ

 薬物乱用による健康障害は次世代にも影響をもたらします。欧米ではヘロインという強力な麻薬の乱用が流行しておりますが、「ヘロイン依存」の女性は入手するための金欲しさに、平気で売春行為もします。そして、予期せぬ妊娠もあるのですが、ヘロイン依存の母親から生まれた新生児は母親と一緒にヘロイン依存になっているのです。出生と同時に、母体からの臍帯を経由するヘロインの供給が断たれることになるので、生後48時間以内に禁断症状を表します。図表17はヘロイン依存の母親から生まれた新生児にみられる新生児離脱症候群として報告された315例のまとめです。ふるえ、多動、嘔吐、金切りの泣き声などが多く認められております。
 ヘロインの入手とその効果追及だけしか考えられないヘロイン依存の母親は、新生児に対して母親らしい愛情すら示すことなく、養育も満足に出来ないため、米国では「乳幼児虐待」と認定され、母親の親権は停止され、新生児は乳児院に預けられることなります。ヘロイン依存の母親から生まれた子供は、母親から親身の愛情を注がれないばかりか、ヘロインの禁断症状にまで悩まされるのです。母親の親権はヘロイン依存の治療をきちんと受けて、回復したという医師からの証明をもらってから、ようやく復活するのです。

6.向精神薬の過量服薬(OD)による悪性症候群、横紋筋融解症、腎不全

睡眠薬のOD(過量服薬)による横紋筋融解症

 図表18は睡眠薬の≪ODOver Dose,過量服薬)≫による「横紋筋融解症」の例です。高校時代に体操部で鍛えた立派な筋肉なのですが、睡眠薬を過量に服用した結果、悪性症候群となり、横紋筋に含まれている蛋白質のミオグロビンが血液中に溶け出して、その分子量が大きいので腎臓の糸球体に引っ掛かって腎不全になるのを予防するために、大腿部の内側と外側4本の痛めた筋肉を切除した結果、リハビリに取り組んでいるのです。
 向精神薬の過量服薬によって、このような危険のあることを薬物乱用防止教室などで知らせるため、ご本人に許可を得て撮影させてもらいました。

7.大麻が心身に及ぼす影響

1)大麻の主成分THCによる動物実験でみられる行動変化

 大麻の動物実験に関する図表は、福岡大学名誉教授の藤原道弘先生から提供されたものです。
 大麻の主成分であるTHCをラットの腹腔内に注射する動物実験で見られた行動変化を見てまいりましょう。
 集団飼育されているラットではほとんど見られないのですが、特に単独飼育条件のラットにTHCを注射しますと、全例が激しい攻撃性を発現します。割り箸に噛みついたり、マウスを入れるとムリサイドといってマウスを噛み殺し、跡形残らず食べてしまうそうです。ヒトにおける大麻精神病でも、非常に攻撃性が強くなります。
 一方、集団飼育されたラットにTHCを注射すると、ラット同士が体を寄せ合い静かにしております。また外から刺激を与えるまでは、不自然な姿勢をいつまでも取り続けることもみられます。これらは大麻乱用者にしばしば認められる、何かやろうとする意欲をそがれた「無動機症候群」のモデルと見なされます。
 次に、図表19の右下に示すようなプラスチック製の8方向の放射状迷路の装置の各コーナーに餌を置いてラットを訓練しますと、比較的短期間に上左側の軌跡のごとく、非常に効率よく餌をとるように空間認知が完成します。この状態で、大麻主成分のTHCを注射しますと、学習したはずの空間認知が乱されて、何度も同じところに行ったり来たりする失敗をして、全部の餌を食べきるのに、上右側の軌跡のように非常に時間が掛かります。これは大麻を乱用する学生にみられる「学習障害」のモデルと考えられております。

八方向放射状迷路におけるラットの餌取り行動に及ぼすTHCの影響

2)大麻のヒトに対する影響

(1)急性効果

 大麻が心身に及ぼす影響は、「急性効果」と「慢性効果」に分けられます。大麻を吸って現われる急性効果のうち、身体に及ぼす作用はまちまちですが、心拍数の増加、結膜の充血、食欲の亢進などは共通して見られる症状です。
 一方、精神に及ぼす影響ですが、大麻は幻覚剤の一つで、使用すると<トリップ(trip)>といって、感覚・知覚・気分・思考・自我体験などの上で、日常の自分とは異なった主観的体験をするのです。大麻使用時の<セット(set:使用者の心構え、疲労など身体内状況)>と<セッティング(setting:使用を取り巻く環境的状況)>によって大麻の作用は大きく違います。普段の使い慣れた状況においては、陶酔的な快感を伴うgood tripを経験していても、例えばその場に見慣れないヒトがいて心配したりしていると、bad tripといって、急激に錯覚・幻覚、不安感・恐怖感を伴う妄想が発現して、異常な興奮・錯乱状態を呈する強い反応が治まらないで、「急性精神病」として、緊急に警察に保護されたり、友人に伴われて精神科病院に受診したりするのです。

(2)慢性効果

大麻吸煙のヒト精子に及ぼす影響

 大麻による<慢性の身体障害>としては、煙の刺激による慢性の喉頭炎・気管支炎、精子の減少、月経異常のほか、白血球減少に伴う免疫力の低下などが報告されています。また、男性の大麻乱用者の場合、図表20のように、精子の構造やその運動性に明確な異常がみられたり、男性ホルモンであるテストステロン含有の低下をみとめることがあります。
 一方、<慢性の精神障害>としては幻視、幻聴や妄想など精神病症状が大麻を使用していない時にも持続して見られる「大麻精神病」が重要です。海外留学中にかなり濃厚に使用した場合には、学業から落ちこぼれて、ほとんど普通の会話も成り立たないような病的状態で帰国する例も見られます。このような場合には、治療によって幻覚や妄想が治まっても、その後に感情の平板化、関心・自発性の減退、思考内容の貧困化などの<無動機症候群(amotivational syndrome)>を長期にわたって呈する「人格変化」が特徴的です。

 図表21は大麻を乱用した患者が治療によって幻覚妄想が治まった時点で書かされた反省文です。高校とデザイン学校を卒業しているのに、漢字が全くみられないです。また簡単な文章しか書けず、「知的障害」を引き起こしているのがよく分かります。今は亡き徳井達司先生のお話では、ある乱用者の親によると、「本当にあれっと思うくらい幼稚で、漢字で全然書かない。仮名ばかり書いてある。まるで小学校1年か2年みたいだ」とか、「複雑な話をしても、込み入ると全然理解できないようだ」という訴えがあったそうです。この症例は親が訴えた例ではないのですが、大分時間が経ってくると、漢字が増えてきたそうです。

大麻乱用患者(29歳男性、高校・デザイン学校を卒業した人)が書いた反省文

8.違法ドラッグ乱用による問題

 首都圏では法規制の網を逃れる目的で、バスソルトやお香として販売されている脱法ハーブの喫煙が流行している時期に、平成23年頃から広島では脱法ドラッグとしてMDPV(通称メリーさん)の他、規制の網を逃れた脱法新薬が販売・乱用され、一時は取締りが追い付かない状況にあったのです。

1)違法ドラッグ関連精神疾患の症状の概要

 広島県・市から精神科救急医療センターとして指定を受けている医療法人せのがわ瀬野川病院においては、既に平成2310月から違法ドラッグ関連精神障害の入院を認めました。平成242012)年1年間になると、合計20名もの入院患者を数えました。その主な特徴を列記しますと、(1)過去に大麻やLSDMDMA、覚せい剤など多剤乱用経験を有している者が多く、8割を占めること、(2)使用後、比較的短期間に、急性中毒による錯乱状態あるいは激しい興奮状態などのため、110番通報・保護される事例が多いこと、(3)そのため措置入院の比率30%と高いこと、(4)記憶不明確、ないし疎通性不良の者が20例中13例(65.0%)と多いこと、(5)「赤い光線が見える」、「床から手が10本見えた」などの幻視体験、「アダルトビデオの写真が妻である」など人物誤認が多いこと、(6)受診時に被刺激性・易怒性の亢進している者が多いこと、(7)顔面・脳の違和感や激しい頭痛を訴える者が多いこと、(8)横紋筋融解症1名、踵骨骨折2名や上肢・胸部の傷痕などの外傷を有する事例が多いことなど、があげられます。
 このように違法ドラッグの乱用者では、乱用の初期段階で依存状態になる以前から激しい精神錯乱状態を呈する事例が多いので、覚せい剤よりも使用者にもたらす影響が強烈であるといえると思います。

2)いわゆる脱法ハーブの有する神経毒性について

脱法ハーブの神経毒性

 マウスの脳は薄い切片にして適当な培養液の中に浸しておくと、神経細胞と神経線維のネットワークを保持した生きたままの状態で、生理学的な実験に使用できるのです。ところが、その培養液の中に脱法ハーブの成分を添加すると、2時間後には右の写真のように神経細胞が破壊されてしまうくらいの激しい細胞毒性を表します(図表22)
 医薬品を開発する場合には、このような強い神経毒性が認められれば、その時点で医薬品としての使用は到底考えられないのですが、密売組織は安全性を全く無視し、類似の幻覚作用のあるこのような違法ドラッグを浴用剤やお香などとして平気で販売しているのです。

9.覚せい剤が心身に及ぼす影響

1)覚せい剤急性中毒による脳内出血死

覚せい剤急性中毒による脳内出血死

 覚せい剤(メタンフェタミン)には、交感神経系の刺激作用があるため、急性効果として、瞳孔散大、心拍数の増加、末梢血管の収縮、四肢冷感、血圧上昇、立毛感などを来たします。図表23はもともと脳内に動静脈瘤などを有していた者が覚せい剤を使用した結果、血圧が急劇に上昇したため動静脈瘤が破裂して、その結果死亡した事例の脳前頭断面の写真です。

2)覚せい剤依存症の周期的使用でみられる三相構造(図表24)

覚せい剤依存症の周期的使用で見られる三相構造

 覚せい剤に依存した状態では、第1相の「連用の時期」、第2相の「つぶれの時期」、第3相の「薬物渇望期」という三相構造が認められるようになります。1相の「連用の時期」には23日間、覚せい剤を連用します。その間、覚せい剤のもつ強力な作用のため、殆ど眠らないし、食べません。最初のうちは目立たないのですが、覚せい剤を打った直後には、「常同行動」といって、つまらないことに熱中することが見られます。鼻歌交じりであてもなく街中をドライブしたり、掃除をしたり、パチンコなどのゲームに熱中したりします。34時間して、作用が切れてくると周囲のなんでもない物音などに気を回して疑い深くなるのです。でも、覚せい剤を入れれば、ケロリとして、「常同行動」に熱中します。
 このような「常同行動」が発現すると、幻覚・妄想状態も直に発現してしまうのです。自分の行動が監視されていると言って隠しカメラを探したり、盗聴されていると言っては電波探知機で盗聴器を探そうとしたり、付き合っている女性が浮気をしていると言って、常同行動によるものすごく酷い折檻をしたりするようになるのです。ですから、薬効時にこのような「常同行動」が認められるようになったときには、<覚せい剤精神病の前駆状態>とみなすことができます。

3)急性覚せい剤精神病にみられる幻覚妄想状態の例~包囲襲来状況~

覚せい剤精神病の幻覚・妄想状態

 これから示す一連の写真(図表25、26)は、患者の保護に立ち会ったお巡りさんから状況説明のために提供されたものです。
 5月の連休前にたまたま、まとまった量の覚せい剤を手に入れて、日に5回以上強迫的に覚せい剤を注射して、その結果、≪包囲襲来状況≫というのですが、切迫した幻覚妄想状態になって、警察官数人によって保護されて入院してきたのです。≪借金が溜まっているので、暴力団が自分に多額の保険金を掛けて、殺し屋を頼んで大勢で家の周囲を取囲んで、ザワザワしている≫という非常に切迫した幻覚妄想状態です。自分がトイレの方に行こうとすると、軒先から「今そっちに行くぞ。隠れろ」という互いに連絡・相談しあう声がありありと聴こえるので、軒先にまで相手が隠れていると思い込んで、「やられる前にやってやる」と、軒先を鉄パイプでつついて穴を開けています。ちょうどその当時、雨戸の戸袋の中にスズメが巣をつくってチュンチュン騒々しかったのですが、そのスズメのチュンチュンいう鳴き声からも、自分を殺しに来ている連中の話し合いの声を幻聴として聴き取っていたのです。
 室内を見ると、ちょうど雨戸の戸袋の辺りに、つるはしが突き立っております(図表26)。「やられる前にやってしまえ」というわけです。うまい具合に警察官に早めに保護されたから良かったのですが、このような包囲襲来状況に陥っているときに、偶然に新聞の集金人でもきたら、その人間までもが自分を殺しに来た暴力団員と思い込んで、傷つけていたかも知れないのです。

4)覚せい剤精神病の発病と再燃の経過の模式図(図表27)

覚せい剤精神病の発病と再燃の経過の模式図

 図表27は覚せい剤による幻覚・妄想などの病的症状の発現と再燃の様子を表した模式図です。覚せい剤精神病は発病後、早期に治療すれば比較的容易に治るのですが、すぐ治療に結びつかないで長期間放置されてしまうと、幻覚などが慢性化・固定化してしまい、完全に治すのは非常に困難となります。また、早期に治療して治った場合でも、図表27に示すように、覚せい剤の反復使用による脳内の変化は持続しており、症状再燃の準備性は長期に保持されるものなのです。これを「逆耐性現象」といいます。
 覚せい剤精神病の幻覚・妄想などの病的症状は、普通、最初発現するまでには、覚せい剤を最低でも23ヵ月間、周期的に打ち続けないと出ないのですが、一度発現してしまうと、その後は再燃の度に発現しやすくなり、治まりにくくなるのです。良くあるのは、「退院祝いだ。一回くらいなら大丈夫だろう」と誘われて仲間と12回打っただけで、入院前と同じように激しい幻覚妄想が再燃してしまい、再入院してくるのです。繰り返しているうちに、覚せい剤を使わなくても、大酒を飲んだとか、極度の疲労などが原因で、症状が再燃します。そのうち<心理的なストレス>が負荷されただけでも、≪フラッシュバック現象≫と言って、同様の激しい症状が再燃してしまうことも見られるのです。

10.静脈注射による薬物乱用者にみられるHIV感染(図表28)

感染経路別HIV感染者・AIDS患者数(2011年末現在)

 静脈注射による薬物乱用がHIV感染のハイリスク・ファクターであることは、よく知られています(図表28)
 わが国においては、報告されたAIDS患者のうち静脈注射による薬物乱用によるものが0.4%(61人/13,704人中)、HIV感染者のうち静脈薬物乱用によるものが0.7%(47人/6,272人)であり、静脈注射による薬物乱用が感染原因になっているものの割合は比較的低いです。しかし、静脈注射による使用が主体である覚せい剤患者においては、HBs抗体陽性者およびHCV抗体陽性者がそれぞれ26.8%、68.3%という高率に認められることが報告されております。従って、一旦覚せい剤依存者の中にHIV感染者が出ると、その個人を源にしてHIV感染が急速に彼等の中に伝染して広がる危険性があるので、今後も注意深くその動向を見守っていく必要があります。


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