禁煙コーナー

禁煙に関するコラム

江戸時代におけるたばこ (4)禁煙運動家-大田蜀山人のこと

広島市立安佐市民病院
名誉院長 岩森 茂

 江戸時代の幕臣で狂歌師、洒落本を多く世に出している大田南畝こと蜀山人は、その見聞随筆「一語一言」の中で、たばこのことを次のごとく記している。すなわち、たばこは異国から渡来した妖草だと決めつけ、たばこ好きは病人なりとし、さらに愛煙家の無作法を次のごとく厳しく非難している。
 例えば座席を汚すばかりでなく、火事の元になることに無関心で、吸わない人への配慮に欠け、煙をふきかけるなどの礼儀知らず、吸殻が食べる物に入っても気にしない無神経さ、いずれにしても自己中心の愚人というべしと糾弾している。また、受動喫煙害も巧妙な文体でまとめている。すなわち、南畝は中国呉の国の王妃西施の墓にたばこが生えた史実にちなんで、たばこのことを放火草あるいは傾国草との別名があるという。少し詳しく述べれば、西施の家が放火され逃げまわる人を見て喜んでいたとされ、また、西施の美貌に迷った呉王が王政を顧みなかったために国を減らされたことから、正に西施を傾国の王妃として2つの物語からたばこを放火草、傾国草と名付けたとのこと。さらに続けて南畝はたばこを太破己(己の身を滅ぼす)、太馬己たばこ(大ばか者)とさえ極言している。
 引き続いて彼はたばこと手が切れない業深い者(現代版依存症)は、せめて周囲の迷惑を考えて守るべき事柄を追記している。まずはやたらと痰を吐かないこと、吸殻を不注意に捨てないこと、吸いながら協議などをしないこと、食事の席で吸わないこと、面前で煙管きせるの掃除をしないこと(特に私たちの世代では、当時のたばこ吸いが煙管の雁首をはずして煙管の中をしおりで掃除しており、その強いやにくささを経験している)などである。南畝は労咳(肺結核のこと)で死んだ人の埋葬地によくたばこの生えることから、労咳草ともいうとしているが、スモーカーが咳や痰を出す姿を実に見事に表現している。このように書いてくると南畝の厳しい嫌煙ぶりが窺われるが、奇妙なことにたばことたわむれる歌も詠んでいる。それは「奇煙草煙」と題して、「埋火のしたにさわらで和らかにいひよらむ言の葉たばこもがな」と詠んだり、「奇灰吹恋」と題したものも残されている。要するに、南畝は初めからの嫌煙論者とは思えず、吸煙の経験からその害を悟り、嫌煙を説いたというのが本音ではないかと思われるのである。
 以上、4編に述べた江戸時代のたばこ事情については、秋山忠彌著「大江戸浮世事情」(ちくま文庫2004年版)をおおいに参考にさせていただいた。

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