禁煙コーナー

禁煙に関するコラム

江戸時代におけるたばこ (3)喫煙道について

広島市立安佐市民病院
名誉院長 岩森 茂

 外国では15世紀にコロンブスの伝えた西インド諸島の土人の喫煙習慣は、当時中空の木片を両鼻孔にしっかりさしこんでたばこのけむりを吸っていたようであるが、酋長とか呪医はこの喫煙行為を2つの目的、すなわち神の力を保ったり、霊感による予言を口述したりするために利用していたという。その後、西欧では皮膚病、皮膚腫瘍(貼る)、片頭痛、喘息、胃痙攣、回虫駆除、切り創、伝染病予防など、万病に効くと盛んに用いられたが、これもほんの一時期で、その後はファッションとしての吸煙行為が流行した。ただし、煙をフカフカふかしたり、鼻孔から煙を出すのは貴族的な権威に関わるし、また、あまりにも興がなさ過ぎると考えられ、宮廷、僧侶階級の趣味にそぐわないことから新しい方法として「嗅ぎたばこ」が出現し、雅やかな上品なしきたりとして流行するようになった。ひるがえって日本の江戸時代においても禁煙令の弱化とともに花開いた喫煙作法、すなわち喫煙道の誕生があった。江戸期には武家茶道が生まれた時代ではあるが、喫煙における作法も大いに説かれたようである。すなわち他人の家を訪れた時、案内された部屋の座布団の前には煙草盆が置かれているが、客は主人が現れるまで煙管きせるに手をつけてはいけない。型通りの挨拶のあと、主人は「どうぞたばこ参られよ」とすすめるが、客は必ず辞退する。そして「まずご亭主から参られよ」といったやり取りが2、3回あって後、そばには当然炭火が燃えているから客は渡された煙管を口にして火をつけ煙を吸う。そして「よきたばこなり」(よき煙管なりとも付け加えたか?)とその味をほめる(註...後に専売局が発売した刻みたばこには銘柄がついたが、当時は単に刻みたばことして売られていたのであろう)。いずれにしろ、江戸風流の開化は茶道に対抗して喫煙道の掟も生まれたのである。ここでは、たばこの吸煙具-煙管に関するエピソードも面白いので追加してみる。
 すなわち、現代の白木屋の開祖大村彦太郎の出世物語である。彼は元和の禁煙令の時、江戸柳原の土手を通りながら下を見ると、乞食が菰をすっぽりかぶってひそかにたばこを吸っていた。これを見て厳しい禁煙令の中、たばこがやめられない者がいることは、必ずこの法令も弱化すると考え、江戸、京都、大阪の捨てられるばかりの煙管や喫煙具や灰皿などを、二束三文に買いあさって蔵の中にためておいた。その予測が当たって、再び喫煙具が庶民から求められるようになり大儲けしたという。かくて、江戸後期は煙管などの喫煙具はファッション化して、庶民の見栄のシンボルとなって行った。

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