禁煙コーナー

禁煙に関するコラム

あれほど馴染んだ紫煙からの脱出

広島県医師会禁煙推進委員会
有田 健一

 美恵子さんはスーパーの店員を最後に仕事を辞めて、今年で74歳になる。仕事の合間にタバコを吸い始めて以来、夫も喫煙者だったこともあって、最近では1日1箱を越える喫煙量に達していた。徐々に息切れが悪化する様子を心配する主治医から、時にはやさしく、時には「診ないよ」と脅されながら、禁煙を指示され続けてきたのである。それにもかかわらず、「ほとんど吸っていない」、「できるだけ吸わないようにしている」などと主治医の前では小さな声で禁煙への努力を装い言い逃れてきた彼女だったが、タバコの臭いを消すことはできなかった。しかし3月に風邪をひいてからは、タクシーでの通院が必然となったし、来院後も息切れのために2階の診察室まで何度も休まなければならなくなった。彼女の呼吸苦を気にかけた顔なじみの看護師が、病院玄関に置いてある車椅子の使用を勧めたことから、車椅子に乗る彼女の姿は病院内では当たり前の風景となったのである。
 とは言っても、診察室からの入室を促す声に呼応して、まとわりつくカーテンを手繰り、自分で車椅子を操って部屋に入った後は、大きな声と笑い声の連発で語りかけてくるものだから、主治医は彼女の病状を慢性的に悪化しているが当面は"こんなもの"と躊躇しながらも軽視していた面があったことは否めない。その彼女が7月、痰の増加と呼吸困難感によって日常生活が乱される様を、ため息の中でうつむき加減に告白したのである。顔色は悪く、明らかに呼吸不全の相を呈していた。息切れは気の強い彼女の別名とも言える症状であったから、それだけなら聞き流すことが多かった主治医も、全身状態の悪化で倒れる姿を容易に想像できる事態に至ったことを直感して、現実に引き戻された気がしたのである。「そうなのか」とつぶやく一方で入院のためのベッド探しが始まり、早速、鼻マスクを使った呼吸療法が開始された。いつもの大きな声は2週間後に退院となるまで鼻マスクで遮断され、退院後もこの療法の継続が指示されることとなった。
 こうして寒さの中に新年が明け、彼女の受診日がやってきた。主治医の呼び込みに応じて診察室に入ってきた彼女は、杖をつきながら、ゆっくり自分の足で歩いていた。「ヘヘヘ...」と意地悪した子供のような声を出して苦笑いしながら。「ど、どう‥したの」と戸惑う主治医に、少し逡巡した後で「12月から鼻マスクは使ってないの」とかわいい声で言い、「タバコを止めたら咳はないし、痰はなくなったし、息の弾みも少なくなって、自分でまた歩けるようになったのよ」とこの日を待ちわびていた様子を述べた。あれだけ禁煙ができなかったのに、どのようにして止めることができたのかと驚きながら問う主治医に「先生に反発したり、看護師さんの注意に『うるせえ、私の身体よ』と大口をたたいていたけれど、鼻マスクまで使うようになって、健康障害がここまで来てしまったのかと思うと無性にタバコを止めたくなって、本当に止、め、る、ことにしたのよ」と"止める"を強調したのである。微笑みの中にいつもの咳はない。「主人が11月から禁煙に挑戦し始めたのよ。加えて12月は私の誕生月だし、思い切るきっかけにしたの」と普段の大きな声に戻って話が止まらない。夫は少年野球の監督さんである。「あの人一人が止めて、私が吸うんじゃいけないし。あの人は子供たちを教えに週末は出ていくでしょう。だから動けるようになった私は週に1回、気分転換にデイケアに行くことにしたんだけれど、そこはタバコはだめなのよね。でも吸う人が一人いるのね。その人から漂うタバコの臭いが74歳になってやっとわかるようになったのよ。『こんなにいやな臭いのものをなんで今まで吸ってたんだろう』と思うの」まるで新しい人生の始まりを告げるファンファーレである。息切れが軽減し、デイケアではとても明るく過ごしていることや、きれいな声(?!)で歌が歌えるようになったことを、小さな子供が親に話すように主治医に語り続けるのである。肩から力が抜けた主治医は彼女のペースに翻弄されるままだった。大きな岩が動いたように感じて椅子から立ち上がった主治医は、カーテンを上げて受診を終えた彼女の肩をゆっくり押してやった。前で待機していた日焼けした夫が立ちあがって会釈した。車椅子を押さなくてもよくなった彼に禁煙の開始を褒めると「タバコを止めたことで家の中の雰囲気も良くなって、少年野球に専念できるようになりました」と喫煙による体調の悪さが家庭の中で小さなもめごとにつながっていたことを反省するのだった。夫の後ろで主治医を見上げた彼女が「義理の息子も私たちの前では吸わなくなったのよ」と声を潜めて、しかし可愛いらしく付け加えた。古びた禁煙外来勧誘のポスターが、掲示板の上で思わず震えたようにみえた。

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